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東日本大震災・宮城県南三陸町災害支援隊活動報告(続編)

元木さんの報告を以下にPDF版で掲載します。(クリックしてください)

元木東日本大震災南三陸町支援隊報告書1.05.21                                                       



次に、浅井さんの報告を以下に掲載します。                                                           

(浅井信雄記)

現地の状況: 波が到達した場所とその直前で免れた場所での違いが非常に大きい。津波のエリアは破壊されつくしておりガレキのみ。一方助かった地区は地震の被害は小さく何事もなかったかのようである。隣接するたとえば登米市や栗原市などは何ら被害がないように見える。本当に極端な災害と強く思った。                                                                地域の人間性: ここは東北の田舎であり一つの入り江の地区の中で経済活動や人間関係が完了するような狭い世界であり、他の地域との人の交流も少なく、地域での人間関係が何よりも重要なところと思えた。地域の有力者との関係やしがらみというものも少し感じた。半数の人が死んだとしても、今後もずっと続くであろう現地の付き合い、力関係がかかわっている感じがする。 このため、恥ずかしい姿は見せられないということで食料の奪いあいや盗難といったことは起きにくかったのであろう。                                     ボランティア希望者: 阪神淡路大震災に始まったであろう、一般人による救援・支援活動は着実に根付いてきている。若い人も多く見ていてうれしかった。                                                                             歴史と繰り返し: この震災を機に関連する書籍を読んだ。また、インターネット等でいろいろと調べてもみた。歴史を振り返ると数十年間隔で津波の被害を受けており数百年単位で今回に相当する大きな被害を受けている。近年は明治、昭和の大津波を経験し更にチリ地震もあり恐怖の記憶は受け継いできたはずであろうが、今回も大きな被害を受けてしまった。記憶が薄れ緊張感がなくなってくるのであろうか、頻繁な津波警報で避難してもわずかな波高の上昇程度ということ繰り返した結果であろうか、一昔では考えられないような強固な堤防を過信してしまったのであろうか、残念な結果になってしまったが、今後さらに強固な堤防を作ることになるのであろうが、住民は海岸線近くに住むことになり、今後も何らかの被災を繰り返すことになってしまうのであろうと思った。                                         ボランティアの受け入れ態勢: 運営者自体も多分自治体の担当者と比較的手慣れたプロ的なボランティア団体の共同体と思えたが、現場との板挟みのようなものもあるのであろうかうまく回っていないところがある。GW中のボランティアの拒否や渋滞、駐車場の混乱といった報道があるが、少なくとも南三陸ではこういった問題はなかった。GW前のマスコミ報道により被災地に行くのを思いとどまった人は多いのではないかと思う。今では情報はインターネットからという人は非常に多いので、災害発生時はインターネット専任者の任命と正しい情報発信が重要と感じた。

ボランティアはどの程度必要とされているのか。

ライフラインの状況

手ぶらでよいのか、すべて準備すべきか

現地への交通手段や駐車場の有無

近隣の宿泊施設、キャンプ場、スーパー、レストラン、温泉などの情報

こういったことを発信し、仮に連休中に大勢が集まるのを避けたくとも、その出鼻をくじくようなことをせずその後に続くよう少ない仕事を分担させるなど戦略を持ったやりかたをするのが将来につながる運営と思った。                                         総 括: 見渡す限りのガレキをみると、少し前までのここでの生活が一瞬にして消えてしまったのだなということをつくづく感じる。親族知人が亡くなり、買ったばかりの家がながされ、また些細なことでいがみあったり、多少の利益を求めての商売の駆け引きなどの日常の行為な、、、、、、 重要なことからささいなことまでほんの少し前の現実がすべて一瞬できえてしまった。 何やら宇宙から地球を眺めているような感覚がした。

 
特殊技能を持たぬ我々が3日程度の単純作業をすることに対して現地の人が多少なりともありがたいと感じるのか、もしくはよそ者の自己満足であり不必要なことと感じているのかはよくわからない。たぶん両方の考えの人がいると思うが、ありがたく感じてくれる人がいるのであれば行く価値はあったと思う。3日間の実作業であったが移動も含めて計5日。いろいろな装備や食料品も購入し、高速道を利用して1000km以上移動してそれなりの出費となった。この分をすべて義援金としたならば相当な金額になるはずであろうが、行動を起こしたことにそれ以上の価値があったと信じたいし、自分の気持ちとして十分満足できる行動を起こせたと思っている。これこそ自己満足なのかもしれないが、人助けになると思うことを行うことに対して喜びも感じた。同じことを感じる人が増えて、助け合うという社会が発展していくことを強く望む。

 
人生何があるかわからない、これは確かなことである。悪くとれば何をやっても無駄になるかもしれないといった投げやりな感じになってしまうが、何があるかわからないからこそ欲に溺れず、贅沢を望まず、誠実に正しくそして何かあった時のために後悔することなくに生きることが重要と感じた。

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