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恒例の沢登研修を軍刀利沢にて実施しました

6月19日(日)五日市、軍刀利沢にて年間行事である沢登研修を17名の参加者によって予定通りまた、有意義に終了しました。

会では年間行事として会員の技術向上・レベルアップはもとより会員同士の技術交換、交流を目的として5月岩登り、6月沢登、11月遭難対策訓練、3月雪上研修を毎年実施しています。

沢登研修は毎年副会長長門氏が担当していただき、実踏そして緻密な計画準備は好評です。軍刀利沢は八王子から極めて近いうえ、小滝が多くあり初級者でも取り組める変化に富んだところです。

P6190001 いつものように八王子駅南口集合7時、五日市より桧原、熊倉林道に入り落合橋上部の駐車スペースに入る。 前日の雨も上がったが若干水量は多いようだ。研修の説明後班ごとの行動となる
 P6190007  いつもなら矢沢林道を詰め、軍刀利沢入渓となるが、今回は熊倉沢より矢沢に早速ウォーキングより始まる
 P6190009  軍刀利沢の出会い、ここより本格的な沢登だ。
 P6190010  ゴルジェ帯、深みに気をつけながら・・・。
 P6190014  いつもより水量が多いため小滝でも難儀する。しかしいつも研修に参加している会員はやはり安心して見ていられる
 P6190029  沢上部にて各班終結、同沢を下山だ。懸垂下降の段取りを説明、下降する。リーダーは各自の安全のための確認を必ずしなければならない。
 P6190032  ロープ操作、体のスムーズな動きはなんといってもトレーニング、慣れるしかない。適切な指導で新会員も安心して下降できます。
 P6190046  より安全のためにはお互いに確認、見守ることも大切です。
 P6190049  沢下降はより慎重にしなければならない
 P6190053  もうすでに5時すぐだが無事研修が終了、一様に会員の表情が明るい
 P6190056  身支度を整い、これから「瀬音の湯」入浴後帰王だ。活動に積極的な参加メンバーたちだ。
八王子山の会では現在約50名の正、準会員がそれぞれのペースと求める山行を行っています。沢登りはもちろん、雪山、山スキーなど積極的な活動はもちろんですが、安全対策には特に力を入れ、集会での安全登山、遭難対策講座をはじめ各実践研修、11月の遭難対策訓練には当会会員のみでなく遭難対策普及の観点から他会からも受け入れ、12年間継続して行っています。普段はそれぞれが好みに応じて数人単位の山行が主ですがアットホーム的な雰囲気のもと和気あいあいと山を楽しみながらも、会の良き伝統を守りつつ自然を敬い、自然の力を多分に享受しつつも自然に感謝を捧げ、そして大自然を恐れることも決して忘れることなく活動を行っています。会員募集も行っています。経験、男女問わず60歳ぐらいまでの方で山や自然に興味がある方、必要があれば親切丁寧に担当の副会長を中心に経験豊富な指導者が指導いたします。              会長  熊谷 博

残雪と山菜の奥飛騨「猿ガ馬場山」へ

6月5日に残雪の白山連峰の大観を期待して、猿ガ馬場山に行って来ました。
前夜発、早朝からの行動開始と、かなりの強行軍でしたが天候も我々に味方をしてくれ、「山頂探し」や「山菜講習」など計画にない“楽しみ”も加わり、ほんとうに充実した山行を味わうことが出来ました!
猿ガ馬場山は白川郷集落の背面に位置する標高1,875mの飛騨山地の最高峰で日本三百名山の一つだ。山頂付近はのっぺりと平らでだだっ広く、オオシラビソなどの針葉樹林に覆われていて、見通しが利かず、頂上を探すのが一苦労でした。
山頂に着いた頃には曇が出始めてきて視界が利かなくなり、御岳・乗鞍・北アルプスなどの遠望はもちろんのこと、期待していた白山連峰さえも見ることが出来ませんでした・・・。
無事下山するのを待っていたかのように、「白川郷の湯」に向かう頃には降り始めるというタイミングの良さで、長い一日を終わることが出来ました。
見渡す限りの新緑、新緑・・・
山々はブナの新緑に覆われていた。
しばし疲れを忘れる!
10:10、帰雲山に到着!
25分ほど休憩して、いよいよ猿ガ馬
場山へ。

猿ガ馬場への登り
倒木や垂れた枝などを跨いたり、く
ぐったり、避けたりしながら・・、
「一歩一歩前進・・・!」
1,600m付近で
ブナの巨木
ブナの林を行く!
樹齢数百年の巨木が沢山ある。
写真のブナは3本がくっついている
のか、もともと1本なのか・・・?
凄い生命力に圧倒される!
1,770m付近で
標高1,770mを過ぎた付近から
はまだかなりの残雪だ・・・!
踏み抜きに注意しながら進む。
昨夜からの強行軍の疲れか、
皆、足取りが重くなる・・・。

あと少しだ~
登山道も不確かとなり、しばしば地
図と磁石でルートを確認しながら、
ひたすら山頂を目指す・・・。
山頂まであと僅かとなった、1,865m
近からは「山頂探し隊」様相
し、“ヤブコギ”を繰り返す。
迷わないために赤色のリボンを付け
がら慎重索を続る!

ついに山頂へ


12:23 ついに猿ガ馬場山山頂を
《発見》・・・!
白川郷を出発してから、5時間50分、
計画より50分の遅れであったが、こ
の遅れの大半は山頂捜索に費やし
た時間か・・・。
一同もうクタクタ・・・!

山頂集合写真
この満足気なお顔を見て下さ。 
苦労した分、ひとしお・・!
ここで、30分ほど昼食休憩の後、
12:55に山頂発。

もう一つの山頂


帰路のルートを探索中、何ともう一
つ山頂を示す古い小さな看板を発
見し、一同びっくり!
どうも、山頂を示す標識が幾つもあ
らしい・・・?
何とも人騒がせな「山頂探し」で
た!

 

キヌガサソウ

 


帰路はキヌガサソウ、サンカヨウ、
エンレイソウ可憐花達
ばし疲れを忘れる。
また、自生するワサビや山ウド、
ワラビ、タラの芽、コゴミ、フキ
・・・などの山菜を観察し、Sさん
「山菜講義」を聞き・・、
ゆっくりース山しました。
サンカヨウ
思いのほか多い残雪に驚き、山菜
花達との出いに感激し・・・、
ほんとうに楽しく充実した山行でし
た!

三方崩山か?
残念ながら最後まで視界には恵まれ
ず、周囲の山々は霞み、僅かに庄川
を挟んだ対岸の三方岩山?と三方崩
山?が霞んで見えただけであった。
写真は夕暮れ時の三方崩山!
下山時の“道草”などに時間を費や
したためか・・・、白川郷に戻っ
してから10時間40分後
17:10した。
          おわり!

( 参 考 )
 [山行データ]
   ・全歩程:約17Km  ・標高差:1,350m ・行動時間:10Hr40min
   (実歩行時間8Hr30min位か)
   ・コースタイム
    06:30 白川郷八幡神社裏→ 08:30 宮谷林道→ 10:15 帰雲山 0:35→
    12:20 猿ガ馬場山12:55→ 14:40 ワサビ沢 →  15:30 宮谷林道 → 
      17:10 八幡神社裏
       
           ※データが示す通り、かなり厳しい山行であった。
          ※八王子に帰着したのは午前1時過ぎであった!
                                               記 Motoki

 



 

シンナソー

1 6月4日北秋川流域シンナソーを遡行北秋川は2回目の遡行となる。藤倉バス停にほど近い所が入渓点だ。9時に入渓バス停近くの橋の横から河原に下りる。水が綺麗だ。
2 シンナソー出会いが本流左に現れる。水量も少なく貧租な出会いなのでリードしていたJCHANが見落として通り越しそうになったので後ろから指摘する。
3  
4 水線のホールドを探しながら登る。
5  
6 水線遠しを慎重に登攀する。
7 ホールドが少なめなので広範囲に探しながら確実な登りをする。
8 記念撮影をして一息つく。
9 ちょつと高さが有るが行けそうなのでアタックする。
10 途中の棚で一息、上部は結構シャワーになりそうなうえまだ水が冷たいので倒木と根っこを利用してビレー左岸の危なっかしいトラバースで逃げる。
11 JCHANにビレーをしてもらい難を切り抜ける。
12  
13 13時尾根に到着、登山道で下山15時藤倉に到着する。シンナソーは見ても登っても楽しめる小滝が連続する沢だ。時間に余裕があれば尾根を乗越した反対側のヒヤマゴ沢を下降に使えば2倍楽しめるようだ。   ACHAN 記

23年度岩稜研修 

1 23年度岩稜研修が5月22日、日和田山で行われた。本年度は新入会者3名参加で行った。係は未経験者の指導に力が入る。事前に山話会でロープワーク等、机上講習を行ったがゲレンデにて再度行う。S氏による女岩の支点のセット、 係が手分けをして3つのルートをセットした。
2 支点セット後に懸垂下降をする。
3 岩稜研修リーダーUさんロープワークの講習を行う。
15 ACHANホールドを探しながら登攀、安定した登りを修業中、トップロープなのでいろんな為しみ出来る良い機会だ。
7 元会員のSさん積極的にアタックしていた。
8 Yさんはいつでもガッツを披露!!!
9 Sさんにビレーを指導、今後期待。
10
11
12 沢のベテランWさん無駄のない綺麗な登攀
13 エイト環をセットして懸垂下降を行う。
16 釣り師のS氏、沢登を楽しみに研修に励んでいた。今月沢登り研修も行われる予定。今年度の岩稜研修も三名の新人参加により活気があった研修となった。都合が付かなかった新人さんの未参加が惜しまれる。記 ACHAN

東日本大震災・宮城県南三陸町災害支援隊活動報告(続編)

元木さんの報告を以下にPDF版で掲載します。(クリックしてください)

元木東日本大震災南三陸町支援隊報告書1.05.21                                                       



次に、浅井さんの報告を以下に掲載します。                                                           

(浅井信雄記)

現地の状況: 波が到達した場所とその直前で免れた場所での違いが非常に大きい。津波のエリアは破壊されつくしておりガレキのみ。一方助かった地区は地震の被害は小さく何事もなかったかのようである。隣接するたとえば登米市や栗原市などは何ら被害がないように見える。本当に極端な災害と強く思った。                                                                地域の人間性: ここは東北の田舎であり一つの入り江の地区の中で経済活動や人間関係が完了するような狭い世界であり、他の地域との人の交流も少なく、地域での人間関係が何よりも重要なところと思えた。地域の有力者との関係やしがらみというものも少し感じた。半数の人が死んだとしても、今後もずっと続くであろう現地の付き合い、力関係がかかわっている感じがする。 このため、恥ずかしい姿は見せられないということで食料の奪いあいや盗難といったことは起きにくかったのであろう。                                     ボランティア希望者: 阪神淡路大震災に始まったであろう、一般人による救援・支援活動は着実に根付いてきている。若い人も多く見ていてうれしかった。                                                                             歴史と繰り返し: この震災を機に関連する書籍を読んだ。また、インターネット等でいろいろと調べてもみた。歴史を振り返ると数十年間隔で津波の被害を受けており数百年単位で今回に相当する大きな被害を受けている。近年は明治、昭和の大津波を経験し更にチリ地震もあり恐怖の記憶は受け継いできたはずであろうが、今回も大きな被害を受けてしまった。記憶が薄れ緊張感がなくなってくるのであろうか、頻繁な津波警報で避難してもわずかな波高の上昇程度ということ繰り返した結果であろうか、一昔では考えられないような強固な堤防を過信してしまったのであろうか、残念な結果になってしまったが、今後さらに強固な堤防を作ることになるのであろうが、住民は海岸線近くに住むことになり、今後も何らかの被災を繰り返すことになってしまうのであろうと思った。                                         ボランティアの受け入れ態勢: 運営者自体も多分自治体の担当者と比較的手慣れたプロ的なボランティア団体の共同体と思えたが、現場との板挟みのようなものもあるのであろうかうまく回っていないところがある。GW中のボランティアの拒否や渋滞、駐車場の混乱といった報道があるが、少なくとも南三陸ではこういった問題はなかった。GW前のマスコミ報道により被災地に行くのを思いとどまった人は多いのではないかと思う。今では情報はインターネットからという人は非常に多いので、災害発生時はインターネット専任者の任命と正しい情報発信が重要と感じた。

ボランティアはどの程度必要とされているのか。

ライフラインの状況

手ぶらでよいのか、すべて準備すべきか

現地への交通手段や駐車場の有無

近隣の宿泊施設、キャンプ場、スーパー、レストラン、温泉などの情報

こういったことを発信し、仮に連休中に大勢が集まるのを避けたくとも、その出鼻をくじくようなことをせずその後に続くよう少ない仕事を分担させるなど戦略を持ったやりかたをするのが将来につながる運営と思った。                                         総 括: 見渡す限りのガレキをみると、少し前までのここでの生活が一瞬にして消えてしまったのだなということをつくづく感じる。親族知人が亡くなり、買ったばかりの家がながされ、また些細なことでいがみあったり、多少の利益を求めての商売の駆け引きなどの日常の行為な、、、、、、 重要なことからささいなことまでほんの少し前の現実がすべて一瞬できえてしまった。 何やら宇宙から地球を眺めているような感覚がした。

 
特殊技能を持たぬ我々が3日程度の単純作業をすることに対して現地の人が多少なりともありがたいと感じるのか、もしくはよそ者の自己満足であり不必要なことと感じているのかはよくわからない。たぶん両方の考えの人がいると思うが、ありがたく感じてくれる人がいるのであれば行く価値はあったと思う。3日間の実作業であったが移動も含めて計5日。いろいろな装備や食料品も購入し、高速道を利用して1000km以上移動してそれなりの出費となった。この分をすべて義援金としたならば相当な金額になるはずであろうが、行動を起こしたことにそれ以上の価値があったと信じたいし、自分の気持ちとして十分満足できる行動を起こせたと思っている。これこそ自己満足なのかもしれないが、人助けになると思うことを行うことに対して喜びも感じた。同じことを感じる人が増えて、助け合うという社会が発展していくことを強く望む。

 
人生何があるかわからない、これは確かなことである。悪くとれば何をやっても無駄になるかもしれないといった投げやりな感じになってしまうが、何があるかわからないからこそ欲に溺れず、贅沢を望まず、誠実に正しくそして何かあった時のために後悔することなくに生きることが重要と感じた。